嵐のファン/客問題について
少し前から一部の嵐ファン?アンチ?愚痴垢?によって「(嵐にとってファンは)どうせ客」「嵐は客としか思っていない」というツイートが投稿されているのををよく目にするようになった。
そもそも誰が客って言い出したの?
と以前から疑問に思っていたので、
等々を検索してみたが大元となる発言は見つけられなかった。
もし、このことだ、と知っている人がいれば是非教えて頂きたい。
なぜ客扱いという認識になったのかが定かではないのでわからないが、客/ファンで騒いでいるアカウントをクリックすると、その殆どが愚痴垢である。彼らは、嵐や嵐の特定のメンバーを嫌いだといい、彼らの発言、インタビュー、態度などを見ては批判を続けている。
(そもそも「愚痴垢」を始めたきっかけは二宮和也の熱愛報道で、目的は二宮和也批判・伊藤綾子批判であったはずなのに、なぜ矛先が次々にすり替わっているのか大きな疑問だがここでは置いておこう。)
私が「客/ファン問題」でごちゃごちゃ言っている人たちに問いたいのは、
では、貴方は嵐にファンと呼んでもらえるような態度なの???
ということだ。
客だのファンだの騒いでいる人に限って
「お金払ってるんだから(コンサートを)どう見ようが自由」
だの
「金払ってんのはこっちなのになぜ説教されなきゃいけないのか」
だの言っている。
これを見ていると、「貴方が自ら「客」になりにいってるやん」と言いたくなる。
金払ってる私達は大事にされて当然。この態度が「客」でなくてなんなのか。
そもそもアイドルのファンを「応援してあげてる」とかいう思考でやっているのがナンセンスだと思う。し、それは大きく履き違えた考えだと思う。
ファンでいるかいないか、お金を使うか使わないかは全て私たちに選択権がある。私たちはタレントを見て、かっこいい、好きだ、グッズが欲しい、コンサートに行きたい、応援したいという自分の欲求に従ってお金や時間を使っているに過ぎない。その気持ちが無くなれば、いつでも気兼ねなくやめられる自由も持っている。
それを、「こんなにお金も時間も使ってあげたのに」と考えるようなら、究極的にアイドルファンに向いていないので、別の趣味を見つけた方がいいだろう。
私たちはあくまで消費する側に過ぎない。これを忘れてはいけないと思う。
私も、嵐は完璧!嵐様!!嵐に文句言うなんて許せない…!!!などとは一切思っていないけれど、ただただ文句を言う人にはじゃああなたがやってみなよと言いたい。
本番後夜中3:00まで打ち合わせ、9:00からリハーサル、それより前には他の仕事と並行してアルバム作り、構成や演出を考えたり、パフォーマンスの練習もある。
「仕事だから当たり前」と、当事者である嵐が言うならわかる。が、それをファンが言うのはどうなのだろうか。それを言う人が果たして「ファン」だろうか。
勿論、こうした方が良くなるんじゃないか、ここは変えた方がわかりやすい、という意見が出るのは当たり前だ。5万人全員が同じように最高に楽しいなんてなかなか難しい。内容や選曲の好き嫌いもあるだろう。しかし意見と批判を履き違えてはいけない。
もし、「楽しくない」「つまらない」という意見に少しも「嵐のコンサートをより良く、より楽しくしたい」という気持ちがないのであれば、それは批判になる。外野からならなんとでも言える。
話がごちゃごちゃしたが、今回の記事を書いて、私は嵐にファンと言ってもらえるファンでありたいな、という思いを再認識した。
あくまでも享受している側だということを認識しつつ、いつも楽しさをくれる嵐へ感謝の気持ちを忘れずにいたい。棒立ちよりコール&レポンスをし、一緒にダンスを踊りたい。
ファンだから。楽しませて貰うのではなく、一緒に楽しみたい。
私がずっと憧れている「嵐ファン」像がある。それは2008年の国立。バクステからセンターステージでカーニバルナイトを踊る嵐。それに合わせて何万人が一緒に踊って、コルレポして…。あの景色をもう一度見たい。嵐にも見せたい。ぜったいに。
「ファン」は黙っていてなれるものではないし、アイドルに求めるばかりは「ファン」ではない。
ファンが彼らの期待に応え、彼らもファンの期待に応える。
そんなハッピーな関係に、嵐と嵐ファンがなっていけたらいいと思う。
2015.11.07 Japanese ツアー2日目
そこは深海だと思った。
客電が落ちた瞬間、光の海。
揺れる45000の期待と畏れとがドームに満ちていた。
入りのプロモーションと問いかけのあと、彼はそこに現れた。
初めて、生まれて初めて、電気信号に変えられていない自担を見た。網膜が震えるような、頭が痺れるような、そんな感覚。あぁ、二宮和也くんは本当に人間だったんだ。彼は私と同じように息をして、声帯を震わせて声を出すんだ。映像で見るより細くて小さくて、でも男の人な体のラインを見てそう思った。
視界が滲む。やっぱりここは海の底だと思った。やっと亀を捕まえて、降りてこられた竜宮城。ペンライトの光は輝く泡や、さざ波、美しい星空のようで。やっとそのひとつになれたことが、涙が出るほど嬉しかった。
その中心で輝く彼らは、まさに水を得た魚。美しくて、力強くて、なによりプロのアイドルだった。
ずーーーっとお客さんに手を降ったりピースしたり。休むことなく笑顔を振り撒き何度もファンサを繰り返す。彼の優しさを見たような気がした。
夢だったA・RA・SHIを歌うことが、こんなに早く叶ってよかったのか。DVDで何度も見た光景が目の前に広がった。
好きだと思った。それ以外の何者でもないと思った。恋や愛のような見返りを求めるようなものではない、ただ単純に。きっと彼は私を肯定もしないし否定もしないだろう。笑ってありがとう、でもそれがいいと思った。
海底の美しすぎる世界は、儚く鮮烈だ。その輝きに誰もが釘付けになる。彼が望む限り、私は彼をその中心に立たせたいし、そこで輝く姿を見ていたい。弱くても二宮和也を照らす光のひとつになりたいと思った。
終わってしまうのが怖かった。でも二宮和也くんに会えた、この2015.11.7が全ての始まりだ。
忙しくても体調を崩しませんように。毎日笑って過ごせますように。重すぎる"大好き"を二宮和也くんへ。(重すぎて床が抜けそうとか言わないで)